後南朝朝拝式〜川上村 金剛寺〜

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2月5日撮影

川上郷の村人たちにより500年以上も前から受け継がれている朝拝式が、川上村金剛寺で執り行われました。
前日に「ホテル杉の湯」で奈良まほろばソムリエの前田景子さんによるレクチャーがあり、いままでの歴史の授業で習わなかった後南朝の悲話を知ることができました。

鎌倉幕府を倒し天皇による政権を取り戻した後醍醐天皇が、足利尊氏の離反により吉野に入り南朝政権(吉野朝廷)を樹立したのが1336年。ここから56年間、南朝と北朝が両立する南北朝時代が続いた。
1392年足利義満の斡旋で南北朝合一がなされた際に、南朝と北朝は交代で皇位につくこと(両統迭立)が約束されたが、その約束は守られず南朝の皇子たちは吉野に逃れた。

その後皇位の回復を目指した南朝の子孫や遺臣たちの反抗が続きこの時代は後南朝と呼ばれれている。1457年に北朝方の赤松家一党によって、南朝後裔の自天王(尊秀王)が殺害され、この後南朝が終焉した。

この自天王殺害の知らせを聞いた川上郷氏たちが赤松家一家から自天王の御首を取り返し、金剛寺に手厚く葬ったと伝えられている。1459年から毎年2月5日には、悲運の最期を遂げた自天王を偲び遺品の兜(重要文化財)などを拝する朝拝式が行われる。

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自天皇神社へ向かう村人たち。

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御幣が奉納された後、献饌が行われます。

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天王様の鎧兜が保存されている宝物庫で御朝拝の儀が行われます。

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参列者が口に咥えておられるのは榊の葉で、清浄を保つ、他言しない、の意味があるようです。

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式が執り行われているときに幕の外から撮影してみました。
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終わりに急坂を登って御陵に参拝します。